天気の変化が速く好天が長続きしない春ですが、調査で出掛けた時は終日晴れで森の中にも陽が射すような天気の下、移動で高原を走り抜けた時にみた、紅葉落葉樹の林です。
北側の斜面にはまだ雪が少し残っている高原、クマザサも雪の重みから解放されてピンと伸びてきました、木々も陽を浴びて芽吹きの準備を急いでいます。
熊本地震で被災された皆様にはお見舞い申し上げます。
調査で移動中に雑木林の中を通ったのですが、陽を受けた林が美しいので車を止めて見入ってしまいました、雪解けで笹もやっと伸びができまだ薄い色の葉を広げて、共生している灰色の骨格の樹木とやっと冬から目が覚めた、というように見える山の斜面です。
雑木林と書いてあると〝ざつぼくりん〟と読むのが一般的ですが、何か味わいが感じられません、会話の中では〝ぞうきばやし〟という言い方もされます、そう、ぞうきばやしの方が温もりを感じます。雑木は建築などの用材にはなりませんが、落葉広葉樹ですから四季折々に私たちを楽しませくれます、芽吹きから萌黄色にそして新緑に、そこでは虫たちも活動し、それを目当てに小鳥が集まり子育てをする間、私たちに美しいさえずりを聞かせてくれます、盛夏には濃い緑の林や森の景観を創り、葉が黄色に染まる秋も人々を惹きつけ、そして冬枯れの森へとダイナミックな変化を見せてくれます。落ちた葉が折り重なりふかふかの地面、武蔵野の面影などと言うと、このような落ち葉が広がる森を思い浮かべるのではないでしょうか、薪などもこの雑木ですから、生活の結びつがあり身近な所にもあるのです、変化する光景は私たちを楽しませ、何か安らぎを感じるのです、ざつぼくと言っては魅力に結びつかず寂しい思いですね、私が見たのは〝ぞうきばやし〟です。新緑の時にまた来たいと思うぞうきの森でした。